I Can't Stop Thinking About You
完成された作品とか、成熟した人と一緒にいると とても安心するけれど、
道の途中の不安と孤独と闘っているような、時に鋭い瞳で答えを探し求めている感じが好きだ。
何かを追及して表現している人って孤独さを含めて魅力的で美しいと思うし、
孤独が彼らの表現の源であったり、佇まいそのものだったりする。
表現する人たちの孤独の深さは作品を通してしかわからないけれど、
作品が作られた背景や、どんな思いが込められているのかが語られたりすると興味深く聞いてしまう。
自分が作品から感じ取っていたものと、語られた思いがシンクロしていると
何だか作り手と分かり合えた気がして嬉しくて。
表現者の表現に、人は自分を投影したり、希望を見たりするんじゃないかな。
音楽に救われていた私は(今もだけど)、表現されたものが心を動かす力を信じていて。
例えばラジオから流れる一曲の音楽が葛藤の中にいる人を救うかもしれない。
図書館で出会う素晴らしい物語に、生きる勇気をもらうかもしれない。
作品が心にふっと触れて、自分の力で生きる力強さを養う糧となるような
そんな素晴らしい出会いが、たくさんの人に訪れて欲しいなぁと思ってる。
そして、孤独と闘いながら表現している人たちにも
想いはちゃんと届いています、ありがとうって伝えたい。
なにものでもない
オーストラリアで出会った、ラテンの血を引く友人たち。
彼らはとっても感覚的で、気持ちを疎かにせず、毎日を真剣に主体的に生きている。
何をするにも気持ちについてのディテールをとても丁寧に話しあう。
私は彼らのその主体性に、ものすごく自由を感じた。
良い意味で、やりたいようにやっている!と。
意見を持つことに対して、小さなころから一人前として尊重されるからか
家庭と言う小さな社会の中でも、お互いに敬意を持つ、対等である、ということが
ちゃんと理解できるのだと思う。
過度な協調性を強いられる日本、というのは徐々に変わってきているのかなと感じるけれど、
それでも個性に対して寛容だとは思わない。
誰に何を言われても大丈夫!という強さがいるなぁと思う。
どうしても、「正解」を求められているような気がして、体と心が離れていく。
ただ自分自身を生きていたらいいのだという感覚が著しく失われていって、
「人に説明をつける為の自分」をイイ子に生きてしまうのだ。
何者かでなければいけないみたいで。
私が私で在れるにはどうしたらいいの?と、そんなことばかりに苦心して。
友人と話しながら、これから先のことについて、あまりにも八方塞がりに悩んでいたら
「キミは今この瞬間、何がしたいの?ボクはいま猫に会いたいけど」と、茶化された。
誰に左右されるものでもない「今」の自分を、卑下することなく率直に表現する。
きっと友人からしたら、それができずにどう今日を生きるのか?ということだろう。
未来なんて描けるわけもない。
うぅ、あの自由さが、恋しい。
「どこででもこの自由さを持って生きていける強さを身につけるんだ!」
と小心者の私はそんな決意のもとに日本で踏ん張っている。
待ってるよ
デスクに座って一日中仕事をしていると、
正しいか正しくないか だけが成果になることが多くて
感情なんてむしろ邪魔だなぁと思う。
月曜日。
夢のように幸せだった週末を引きずって電車に乗る。
まだまだその夢は私を占領していて、わぁ、と思う。
切らなくては、スイッチを。
すると、目の前の現実だけが全てに思えて、私の喜びや楽しさを感じた心は深く眠ってしまう。
仕事が終わっても、正しいか正しくないかだけを問い続けた脳は
すっかり感情を見えなくして、喜びや楽しかった思いは呼び起されない。
眠らせておける、簡単に。
なかったことにすらできる。
ずっと上手にやってきたから。
正しい?正しくない?と。
でも生きてると、それって結局は破綻するんだなってわかってしまう。
何かを手にしたいと思う時、いつも同じところで躓いてしまうから。
どうしても消せずに募った思いが、何かを掴もうとする今の私を足踏みさせてしまうのだ。
自分の声をちゃんと聞くこと、流さずに受け止めることを大切にしたいと思う。
脳の判断する正誤ではなくて、喜怒哀楽する心を許して自分を満たしていく。
自分に責任を持って生きるには、自分を許し、正直になることがどうしても必要で。
ちゃんと声を聞こうと心掛けると、もう一人の自分が「もう上手くなんてできないや」と 訴えてくる。
いいぞ、いいぞ!と思う。
いまの私は体を使って、色んなものを見て聴いて人と出会って。
もう一人の私がひょっこりと飛び出してきてくれることを、心待ちにしているのです。
Peninsula
Peninsulaとは半島の意味。
いままで住んで心地のよかった場所はどこも半島にあった。
海と緑と街のバランスが、私にはちょうどいい。
高台から街を見下ろすと、そこに置いてきた自分を遠くから眺めているような感じもする。
ずっと引っかかっていた、大宮エリーさんの著書
「思いを伝えるということ」にある
「伝えないと、なかったことになっちゃう」という言葉。
常に自分の中に流れ込んできては、どうしようもなく募る思いがあって。
音楽家は音楽で、画家は絵画で、小説家は小説で、自らの思いを表現してる。
そして私は...?どうやってこの灯を消さずに誰かに届けるのだろう。
とりあえずいまは、書いてみようという気持ちに素直になろうと思います。
思いの源は、素晴らしい人や景色、音楽、その背景にある物語。